大倉山展望台

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札幌のジャンプ台

大倉山シャンツェ建設以前の札幌のジャンプ台

1909(明治42)年、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科ドイツ語講師ハンス・コラーによって札幌に一台のスキーが導入され、学生たちが大学構内でスキーを始めた。1911(明治44)年2月、北大の学生たちが札幌の馬そり屋で4~5台のスキーをつくり三角山で滑った。これが三角山でのスキーの草分けである。この三角山がスキージャンプ発祥の地となった。

沿革・歴史

1917(大正6)年3月
北大スキー部が三角山に札幌で最初のジャンプ台(仮設)を建設。
1918(大正7)年7月
北大スキー部が三角山北側の通称シルバースロープに木造の仮設ジャンプ台(20m級)を建設。
1922(大正11)年1月
北大スキー部が三角山北側のシルバースロープ東側斜面に日本最初の固定シャンツェを建設。「シルバーシャンツェ」と呼ばれた。(以降2年に渡って整備を行う)アプローチ50m・最大傾斜33度、ランディングバーン80m・平均傾斜30度。
1923(大正12)年
北海道山岳会が同じ三角山に初級者用シャンツェを建設。「アルファシャンツェ」と命名。アプローチ約23m、ランディングバーン約25m、アウトラン20m。
1927(昭和2)年1月
第5回全日本スキー選手権大会のため、札幌市が当時「東洋一の大シャンツェ」と言われた「札幌シャンツェ」を建設。アプローチ65m、35mの飛躍距離が可能とされた。「大倉シャンツェ」ができる1931(昭和6)年まで、この台で多くの大会が行われた。
1929(昭和4)年12月
「大倉シャンツェ」が完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の設計により荒井山に40m級の「記念シャンツェ」を建設。第1回・第2回(1930・1931年)宮様大会は、このシャンツェで行われた。台の名称は「森永シャンツェ」「荒井山シャンツェ」と変わり、現在に至っている。

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