大倉山ジャンプ競技場の施設

大倉山ジャンプ競技場の施設

190万人が暮らす北方圏最大の都市・札幌。
その街なみと遥か彼方の地平線までをも望む大倉山は、1972(昭和47)年に開催された冬季オリンピック札幌大会でジャンプ競技場の開催場所になったことでも知られています。
現在はサマージャンプやナイタージャンプも可能な近代的設備が整い、国際的な大会が数多く開催されています。
リフトを使って頂上へのぼると展望ラウンジがあり、標高307mの地から札幌の市街地や石狩平野、石狩湾が一望できます。さらに、ジャンプ台のスタートラインを目の前に見ることができるのも魅力のひとつ。急斜面のアプローチを真上から見下ろせば、ジャンプ競技選手の気持ちが伝わってくるようです。
駐車場から、長いエスカレーターに乗って、大倉山展望台、札幌ウィンタースポーツミュージアム、大倉山クリスタルハウス(ラムダイニング大倉山)へ。大倉山の各施設を楽しんだあとは、ラムダイニング大倉山で、素敵な夜景を眺めながら食事をお楽しみいただけます。

総合案内・チケット売場

リフト・ミュージアムのチケット販売および各種問い合わせにご利用ください。

展望ラウンジ(スタートハウス)

真下に、選手のスタート地点、遠くに石狩平野が広がる展望台です。札幌の景色を眺めながら食べるソフトクリームは格別です。

ジャンプ台

1972年に開催された冬季オリンピックの会場。現在は国際的な大会が数多く開催され、世界トップクラスのジャンパーが競い合います。

審判塔

ジャンプ台真横から選手の飛形点をジャッジする審判員が入る場所です。

※建物内は見学できません。

二人乗リフト

片道5分で山頂へ。それはスキージャンプ競技選手の気持ちを垣間見る時間です。真横に急勾配のコースを眺め、その凄さを実感することでしょう。

運営本部

ジャンプ選手のフィジカルトレーニングや控室としても使われます。自分が飛ぶまでの時間どんな気持ちで過ごしているのでしょう。

※建物内は見学できません。

札幌ウィンタースポーツミュージアム

貴重な資料と体験コーナー。見て、触れて、体験し、ウィンタースポーツの楽しさ、素晴らしさを実感してください。

クリスタルハウス(売店・レストラン)

ジャンプ競技場の目の前にあるレストハウス。1階は、お土産が買える売店。2階には、札幌市街やジャンプ台を眺めながら食事ができるレストランがあります。

エスカレーター(駐車場へ)

無料駐車場からジャンプ競技場へは、長いドーム型エスカレーター(30°長さ34.6m)で行けるので楽々です。札幌市内の眺望をお楽しみください。

駐車場

普通車113台、大型車15台の無料駐車場を完備しています。

大倉山の歴史

1972(昭和47)年の冬季オリンピック札幌大会90m級ジャンプ(現ラージヒル K点120m)の舞台

標高307mにあるジャンプ競技のスタート地点までペアリフトで上ることができ、展望ラウンジからは札幌市街や雄大な石狩平野を一望できることから、観光客にも人気のスポットです。 2000(平成12)年4月に併設された「札幌ウィンタースポーツミュージアム」では、ウィンタースポーツの歴史を紹介する貴重な資料の展示があるほか、ジャンプのタイミングやフュギュアスケートのスピン体験などのウィンタースポーツを疑似体験できます。

施設概要

所在地
札幌市中央区宮の森1274番地
敷地面積
8.2ha
札幌市所有
ラージヒルジャンプ台、運営本部、審判塔、スタートハウス
ウィンタースポーツミュージアム
株式会社
札幌振興公社所有
リフト、クリスタルハウス
 

沿革・歴史

1928(昭和3)年2月
初めてご来道された秩父宮殿下は、大野精七博士(北海道大学スキー部部長)に、オリンピック用の本格的なシャンツェ建設のお力添えを約束される。(建設費等は大倉喜七郎男爵が提供する)
1929(昭和4)年3月
サンモリッツ五輪(1928年・スイス)ノルウェーチームの監督を努めた、オラフ・ヘルセット中尉を招き指導を仰ぎ、適地として現在の大倉山ジャンプ競技場の斜面が選定される。
1931(昭和6)年7月
シャンツェ構築の世界的権威者であったオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、シャンツェ建設に着手する。
1931(昭和6)年10月
完成:総工事費5万円余、アプローチ全長100m・幅6m、ランディングバーン全長130メートル・幅10m~13m、ブレーキングトラック全長150m・幅30mの「60m級シャンツェ」。札幌市に寄贈される。
1932(昭和7)年1月
開場式。橋本正治札幌市長(札幌スキー連盟会長)により、シャンツェを寄贈した大倉喜七郎男爵のご厚意に報い「大倉シャンツェ」と命名される。同月17日、初の公式競技「第5回全日本学生スキー選手権大会」が開催される。
1952(昭和27)年
80m級に改修。
1957(昭和32)年
国体競技用に60m級「雪印シャンツェ」が併設される。
1970(昭和45)年
冬季オリンピック札幌大会に向けて大改修を行う。国費7億7千万円で建設。同時にシャンツェは文部省に移管され「大倉山ジャンプ競技場」(国立競技場)と名称を改める。K点110m、観客席は約5万人収容。
1972(昭和47)年2月
第11回冬季オリンピック札幌大会開催(観衆 42,149人)。90m級ジャンプを実施。優勝:フォルトナ(ポーランド)。日本選手の最高は7位の笠谷幸生。
1982(昭和57)年3月
日本のスキー界草創以来の指導者であり、宮様スキー大会国際競技会の生みの親である大野精七博士(1885(明治18)年8月17日生~1982(昭和57)年12月30日没)のご功績をたたえ、ゆかりの地、大倉山ジャンプ競技場に「大野精七博士顕彰碑」を建立。
1982(昭和57)年11月
リフト(シングル)が建設される。山頂まで徒歩で20分を要していたが片道約4分に短縮。工事費約1億8千万円、搬器55台、傾斜長285.25m、毎時輸送量450人。
1986(昭和61)年
国際スキー連盟(FIS)のルール改正に伴い、ランディングバーンとカンテを改修。K点115mに変更される。
1995(平成7)年3月
国から札幌市に「大倉山ジャンプ競技場」が移管される。
1996(平成8)年12月
FISのルール改正に基づき、ジャンプ台プロフィールが全面改修される。規模:ラージヒル、K点120m、工事費約26億円(ジャンプ台・審判塔)
1997(平成9)年11月
ジャンプ台がサマーヒル化され、ナイター照明も完備される。(上記工事費に含む)
1998(平成10)年5月
リフト(シングル)が解体撤去される。(工期4月1日~5月10日)
1998(平成10)年11月
リフト(ペア)が整備される。片道約5分。工事費約2億5千万円、搬器67台、傾斜長346.39m、毎時輸送量900人。

大倉山ジャンプ台の主な改修点(平成8年完成・・・現在に至る)

 
(改修前 → 現在)
アプローチ
112.2m→101m
助走路
106.2m→94m
(最大斜度)
35度→35度
カンテ
6m→7m
(高さ)
4.2m→3.3m
(斜度)
11.5度→11度
着地斜面
(ランディングバーン)
191.1m→202.8m
(最大斜度)
37度→37度
(幅)カンテ下
8m→10m
K点(幅)
21m→26m
P点=標準点
90m→100m
K点=極限点
115m→120m
ブレーキングトラック
129.2m→100m
標高差
136.7m→133.6m(参考:さっぽろテレビ塔147.2m、札幌市役所78m)
傾斜長
432.5m→403.8m
全長
395.8m→368.1m

バッケンレコード[Bakken record]とは?

スキーのジャンプ競技で、そのジャンプ台における最長不倒距離のことを指します。Bakken(ドイツ語)とrecordの合成語です。

開場時 規模60m級

1932(昭和7)年
浜 謙二(SSC) 34.0m
1932(昭和7)年
山田 四郎(北大) 44.5m
1932(昭和7)年
竜田 竣次(小樽中) 47.0m
1932(昭和7)年
浜 謙二(SSC) 48.0m
1932(昭和7)年
小島 謹也(札商) 49.5m
1932(昭和7)年
松山 茂忠(札一中) 51.5m
1933(昭和8)年
浅木 武雄(小樽中) 56.0m
1934(昭和9)年
竜田 竣次(早大) 61.5m
1934(昭和9)年
伊黒 正次(北大) 67.0m
1937(昭和12)年
星野 昇(北海商) 70.0m
1938(昭和13)年
安達 五郎(札鉄) 70.0m
1939(昭和14)年
浅木 文雄(北海商) 79.0m

1952(昭和27)年 80m級に改修

1952(昭和27)年
柴野 宏明(早大) 84.0m
1955(昭和30)年
吉沢 広司(同和花岡) 86.5m
1956(昭和31)年
菊地 定夫(明大) 87.0m
1957(昭和32)年
佐藤 憲治(東圧) 90.0m
1957(昭和32)年
菊地 定夫(クローバー) 91.0m
1958(昭和33)年
佐藤 耕一(クローバー) 92.0m
1961(昭和36)年
松井 孝(羽幌炭鉱) 94.0m
1962(昭和37)年
菊地 定夫(雪印乳業) 94.0m
1963(昭和38)年
菊地 定夫(雪印乳業) 102.0m
1964(昭和39)年
菊地 定夫(雪印乳業) 103.5m
1969(昭和44)年
ヨセフ・マトウス(チェコ) 104.0m

1970(昭和45)年 改修工事 K点110mとなる。

 
*「大倉山ジャンプ競技場」に改称
1971(昭和46)年
笠谷 幸生(ニッカ) 112.5m
1971(昭和46)年
金野 昭次(拓銀) 114.5m
1974(昭和49)年
笠谷 幸生(ニッカ) 115.0m
1977(昭和52)年
ワルター・シュタイナー(スイス) 115.5m
1978(昭和53)年
ビヤルス・ナース(ノルウェー) 118.0m
1982(昭和57)年
八木 弘和(拓銀) 119.0m
1985(昭和60)年
秋元 正博(地崎工業) 122.5m

1986(昭和61)年 改修工事 K点115mとなる。

1987(昭和62)年
嶋 宏大(地崎工業) 120.0m
1987(昭和62)年
P・ウラガ(ユーゴスラビア) 121.0m
1990(平成2)年
安崎 直幹(NTT北海道) 121.5m
1990(平成2)年
A・ニエミエン(フィンランド) 123.5m
1992(平成4)年
原田 雅彦(雪印乳業) 123.5m
1992(平成4)年
西方 仁也(雪印乳業) 123.5m
1993(平成5)年
須田 健次(東京美装) 124.5m
1994(平成6)年
J・バイスフロク(ドイツ) 125.0m
1994(平成6)年
葛西 紀明(地崎工業) 127.0m
1994(平成6)年
葛西 紀明(地崎工業) 135.0m

1996(平成8)年 改修工事4~12月 ラージヒルK点120m

1997(平成9)年
原田 雅彦(雪印乳業) 127.5m
1997(平成9)年
吉岡 和也(小樽北照高) 128.0m
1997(平成9)年
D・トーマス(ドイツ) 134.5m
1997(平成9)年
F・クリスマイヤー(オーストリア) 138.0m
1998(平成10)年
岡部 孝信(雪印乳業) 138.5m
1998(平成10)年
原田 雅彦(雪印乳業) 140.5m
(この記録が20世紀に残る永遠の記録となった。70年前のこけら落としの初飛びの記録を4倍以上も伸ばすことになった。)
2002(平成14)年
原田 雅彦(雪印乳業) 141.0m
(1月13日開催 第41回STVカップ国際スキージャンプ競技大会)
2005(平成17)年
金子 祐介(東京美装) 145.0m
(3月25日開催 第6回伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会)
2012(平成24)年
伊東 大貴(雪印メグミルク) 146.0m
(1月21日開催 第39回HTBカップ国際スキージャンプ競技大会)

※サマージャンプの最長不倒距離は、2007年10月28日開催「第1回伊藤杯サマーファイナル大倉山ジャンプ大会」時の葛西紀明(土屋ホーム)141.0m

大倉山シャンツェ建設以前の札幌のジャンプ台

1909(明治42)年、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科ドイツ語講師ハンス・コラーによって札幌に一台のスキーが導入され、学生たちが大学構内でスキーを始めた。1911(明治44)年2月、北大の学生たちが札幌の馬そり屋で4~5台のスキーをつくり三角山で滑った。これが三角山でのスキーの草分けである。この三角山がスキージャンプ発祥の地となった。

沿革・歴史

1917(大正6)年3月
北大スキー部が三角山に札幌で最初のジャンプ台(仮設)を建設。
1918(大正7)年7月
北大スキー部が三角山北側の通称シルバースロープに木造の仮設ジャンプ台(20m級)を建設。
1922(大正11)年1月
北大スキー部が三角山北側のシルバースロープ東側斜面に日本最初の固定シャンツェを建設。「シルバーシャンツェ」と呼ばれた。(以降2年に渡って整備を行う)アプローチ50m・最大傾斜33度、ランディングバーン80m・平均傾斜30度。
1923(大正12)年
北海道山岳会が同じ三角山に初級者用シャンツェを建設。「アルファシャンツェ」と命名。アプローチ約23m、ランディングバーン約25m、アウトラン20m。
1927(昭和2)年1月
第5回全日本スキー選手権大会のため、札幌市が当時「東洋一の大シャンツェ」と言われた「札幌シャンツェ」を建設。アプローチ65m、35mの飛躍距離が可能とされた。「大倉シャンツェ」ができる1931(昭和6)年まで、この台で多くの大会が行われた。
1929(昭和4)年12月
「大倉シャンツェ」が完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の設計により荒井山に40m級の「記念シャンツェ」を建設。第1回・第2回(1930・1931年)宮様大会は、このシャンツェで行われた。台の名称は「森永シャンツェ」「荒井山シャンツェ」と変わり、現在に至っている。

冬季オリンピック札幌大会70m級ジャンプの舞台

冬季オリンピック札幌大会の開催が決定した当初、70m級ジャンプ台は「大倉山ジャンプ競技場」に併設していた「雪印シャンツェ」を改造して使用する計画であった。 しかしその後、検討を重ね70m級ジャンプ台は宮の森(旧十二軒沢)に単独で建設することになった。 1969(昭和44)年5月着工、全施設はプレオリンピック開催直前の1970(昭和45)年11月29日に竣工した。 総事業費3億9500万円。アプローチ103m、ランディングバーン146.91m、ブレーキングトラック94.4m、K点86mの70m級(現在ノーマルヒル)ジャンプ台、観客席は約3万人収容。

冬季オリンピック札幌大会ジャンプ競技70m級メダリスト

1972(昭和47)年2月6日、冬季オリンピック札幌大会ジャンプ競技「70m級」開催(観客は2万2千人)。日本ジャンプ陣「日の丸飛行隊」が金銀銅メダルを独占。

金メダル
笠谷幸生(1本目84.0m、2本目79.0m)
銀メダル
金野昭次(1本目82.5m、2本目79.0m)
銅メダル
青地清二(1本目83.5m、2本目77.5m)

宮の森シャンツェ バッケンレコード

1970(昭和45)年1月
金野 昭次(拓銀) 85.0m
1970(昭和45)年3月
青地 清二(雪印乳業) 85.5m
1973(昭和48)年1月
金野 昭次(拓銀) 88.0m
1977(昭和52)年3月
久保田 三知男(ニヘイハウス) 91.0m(ナイター)
1981(昭和56)年2月
T・クリスチャンセン(ノルウェー) 91.5m

【1983(昭和58)年、K点90mに改修、日本初のサマーヒル化】

1984(昭和59)年1月
秋元 正博(地崎工業) 93.5m
1984(昭和59)年1月
V・アホネン(フィンランド) 94.5m
1984(昭和59)年3月
E・フェトリー(オーストリア) 99.0m

【1990(平成2)年、助走路をフロストレール化(人工霜製造装置付アルミレール)】

1995(平成7)年2月
西方 仁也(雪印乳業) 100.0m

【1996(平成8)年、助走路に滑走性能の優れたセラミックトラックを導入】

2004(平成16)年3月
葛西 紀明(土屋ホーム) 101.0m
(19日開催、第28回伊藤杯宮の森ナイタージャンプ大会)
2006(平成18)年1月
B・アンダース(ノルウェー) 102.5m
(第34回札幌オリンピック記念 国際スキージャンプ競技大会)
2012(平成24)年1月
栃本翔平(雪印メグミルク) 104.0m
(第53回雪印メグミルク杯全日本ジャンプ大会)

札幌で最古のジャンプ台

荒井山シャンツェは、1929(昭和4)年に建設され、幾度かの改修・新設を繰り返しながら、多くの一流選手を育成し、見守ってきた札幌で現存する最古のジャンプ台である。

沿革・歴史

1929(昭和4)年12月
大倉シャンツェが完成するまでの練習台として、ヘルセット中尉の指導のもと広田戸七郎氏が改造設計し、「やぐら」を組んで40m級のシャンツェを建設した。この台は宮様のご来道を記念して「荒井山記念シャンツェ」と命名された。第1回・第2回〔1930(昭和5)年・1931(昭和6)年〕の宮様大会はこの台で行われた。
1940(昭和15)年1月
改修が行われ45m級のシャンツェとなった。建設費用を出資した会社名の「タイムス記念飛躍台」と呼ばれた。
1954(昭和29)年
森永製菓が鉄骨でシャンツェを改造・寄贈し「森永記念シャンツェ」と呼ばれた。
1973(昭和48)年
25m級シャンツェを新設。
1981(昭和56)年11月
K点50mのミディアムヒルとK点25mのスモールヒルの2基のジャンプ台が建設された。主に小・中学生が利用。
1983(昭和58)年
ミディアムヒルジャンプ台のサマーヒル化が行われ、ジュニアサマージャンプ大会等が開催された。
2003(平成15)10月
施設の老朽化とプロフィール(ジャンプ台の形状)が現在のV字型ジャンプスタイルによって飛距離が伸びて不適合なため、2001(平成13)年から3か年継続事業で全面改修を行った。
〔ミディアムヒル・スモールヒルの造成とサマーヒル化、モノレール設置(定員10人)、運営本部棟・審判塔の建設等。〕

ジャンプ台プロフィール

ミディアムヒル
K点55m、全長200.0m、標高差61.5m、アプローチ51.0m、ランディングバーン83.0m、ブレーキングトラック66.0m
スモールヒル
K点25m、全長138.0m、標高差28.0m、アプローチ32.0m、ランディングバーン46.0m、ブレーキングトラック60.0m
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